ロッパの悲食記/古川 緑波、無声戦争日記/徳川無声
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ロッパの悲食記 (ちくま文庫) 著者:古川 緑波 |
無声戦争日記 抄 -敗戦の記- (中公文庫)
著者:徳川無声
販売元:中央公論新社
日本人なら、比較的読みやすいこの本を読んで、
知らずとも、敗戦の時のことを忘れずにいて欲しい。
8月15日の敗戦記念日には、まだまだ間に合います。
ただ、この本を探すのは難儀しますけどね。
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ロッパの悲食記 (ちくま文庫) 著者:古川 緑波 |
無声戦争日記 抄 -敗戦の記- (中公文庫)
著者:徳川無声
販売元:中央公論新社
日本人なら、比較的読みやすいこの本を読んで、
知らずとも、敗戦の時のことを忘れずにいて欲しい。
8月15日の敗戦記念日には、まだまだ間に合います。
ただ、この本を探すのは難儀しますけどね。
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夢を食った男たち―「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代 (文春文庫 あ 8-5) 著者:阿久 悠 |
取り立てて私が言わなくても、阿久悠氏は素晴らしい作詞家です。
その中でも、私はジュリーの「吟遊詩人」という曲が好きなのです。
取りこぼしばっかりの人生の中で
ただひとつきらめいた瞬間を持った
幸せに背を向けたしのびあいだけど
生きている喜びに満たされていたよ
あなたには確かに優しさがあり
堕ちる恐れさえ忘れさせた
春は想い出 夏は後悔
秋は虚ろで 冬は哀しく
あなたを想う 吟遊詩人
悔しさに泣くのならぬくもりで治る
虚しさに泣くのなら真実で治る
世の中の変わりさえ知らないで過ごし
限られた愛の日に色づいて生きた
あなたには消えない哀しみがあり
頬の翳りさえつらくさせた
春は思い出 夏は後悔
秋は虚ろで 冬は哀しく
あなたを想う 吟遊詩人
そんな阿久氏の青春期から成熟期にかけて関わりをもった、「世界へ飛び出せ! ニュー・エレキ・サウンド」と「スター誕生」とという番組と阿久氏を取り巻く人間模様から、現代の「歌謡曲」の歴史を浮き彫りにする本である。
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小沢昭一的流行歌・昭和のこころ (新潮文庫) 著者:小沢 昭一,大倉 徹也 |
20年以上前のアサヒビールのCMで、エノケンこと榎本健一が歌う「洒落男」という曲がかかっていた。これが、私と戦前歌謡の出会いであろう。まあ、その前から、市丸姐さんの「三味線ブギウギ」が大好きという、けったいな小学生であったのだが。
俺は村中で一番
モボだといわれた男
うぬぼれのぼせて得意顔
東京は銀座へと来た
そもそもその時のスタイル
青シャツに真赤なネクタイ
山高シャッポにロイド眼鏡
ダブダブなセーラーのズボン
でも、この曲を最初に歌ったのが二村定一というのは最近まで知らなかった。
やっぱり二村定一は「アラビヤの歌」である。
砂漠に陽が落ちて夜となる頃
恋人よ懐かしい歌を歌おうよ
あのさびしい調べに今日も涙流そう
恋人よアラビヤの歌を歌おうよ
あのさびしい調べに今日も涙流そう
恋人よアラビヤの歌を歌おうよ
恋人よアラビヤの歌を歌おうよ
二村の歌声はどこか「半笑い」の感じ。悲しい歌詞でも、悲壮感がまるでないのだ。
是非、うちの3つになる姪っ子にこの曲で踊ってもらいたいのである。非常に和むこと請け合いなのだが、彼女が興味を持たないことも確実であろう。
この本は、小沢昭一が独断と偏見で選んだ、昭和歌謡史を彩る歌手を紹介したものであり、二村定一は「私の青空」で紹介されている。この曲は私の弔いでかけてもらいたい。
夕暮れに仰ぎ見る輝く青空
日暮れてたどるはわが家の細道
狭いながらも楽しいわが家
愛の灯影(とかげ)のさすところ
恋しい家こそ私の青空
日暮れてたどるはわが家の細道
狭いながらも楽しいわが家
愛の灯影のさすところ
恋しい家こそ私の青空
言葉遊びは楽しいものだが、歌詞は明確な意味を持ち、どことない哀感も漂っていて欲しいのである。
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現代落語論―笑わないで下さい (三一新書 507) 著者:立川 談志 |
まだ読んでないけど、随分思い切った本ですよね。落語家が落語論をぶつのですから。
ましてや、昭和40年にこの本ですから、師匠連からは相当とやかく言われたことでしょう。
でも、家元談志は書かずにはいられなかったのでしょうね。
鼻っ柱も強ければ、落語に対する愛情も並々ならぬものですから。
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喰いたい放題 (光文社文庫) 著者:色川 武大 |
同い年くらいの人はまだまだというが、最近欲というものにすっかり淡くなってしまった。
どうせ殆ど同じことの繰り返し、少しの差にあくせくするなら、無為自然で生きたい。
健啖家といえば聞こえも良いが、所詮はただの大喰らい。こんな心持だから、飯をたくさん食べることが、非常にみっともなく思えてきた。
少々、飯を我慢しようとすると、食べ物のことを書いた本を読むことにしている。今まだ食べたものが出てくれば、記憶されている味覚からその味を抜き出して食べた気になり、食べたことがないものであれば、それに思いをはせながら想像で喰らう。
汁物は地獄のように煮えたぎったものを持ってこないと怒るくせに、冷や飯でおかずを食べるのを私はとても好んでいる。炊きたてだと、焼き魚や麻婆豆腐も、唐揚げだって、熱さに気をとられて、味もへったくれもわかったもんじゃない。刺身を食べる時でも、少し冷ましてから飯に載せて食べる。例外は、明太子や納豆、おこうこくらいのものである。
コロッケだってそうである。「一個で二膳」は合言葉のようなもの。みっともないくらいにコロッケには弱いのだ。
「じゃがいもコロッケには、冷たい飯が合う」。この一言で、すっかりこの本が気に入ってしまった。そうそう、その通り。お互い熱かったら何にもならないけど、色川武大も特に理由は述べていない。ただ、事実は事実なのである。
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