« 忘れじの由利徹(中編) | トップページ | 今日はお休み »

2007.10.24

忘れじの由利徹(後編)

Yuritoru

芸  名:由利  徹(1921.5.13 - 1999.5.20)
本  名:奥田 清治(おくだ きよはる)
出身地:宮城県石巻市
1942年、ムーラン・ルージュ新宿座に加入。
1943年、召集。中国北部に出征。
1946年、復員し、ムーラン・ルージュに復帰。
1951年、ムーラン・ルージュ解散。
1956年、南利明、八波むと志と「脱線トリオ」を結成。
1962年、脱線トリオを解散。以降映画、テレビで活躍。
1983年、石巻市民名誉賞を授与。
1992年、七代目日本喜劇人協会会長に就任。
1993年、勲四等瑞宝章受章。


1951年5月にムーラン・ルージュ新宿座は落城(解散)したが、由利はすぐに浅草花月劇場に移り、翌6月には、ムーランと同じく東宝系列である帝劇ミュージカル(後の東宝ミュージカルス)の第2回ミュージカル・オペラ『マダム貞奴』に脇役として出演する。

しかし、その出演と同時期に、「ギャラは帝劇の3倍。ヌードの女の子もいる」との言葉に誘われ、即、新宿セントラル(ストリップ劇場、1949年3月18日開館)に移る。
当時のストリップは、幕間に歌やコントが入る「バーレスク・スタイル」でショーが行われていた。客は踊り子だけが目当てであり、彼らの気を引くためには、想像を絶するほど大変な苦労があったことは間違いないだろう。由利も「客とやり合うのが良かった」と当時を回想している。

1954年9月28日に新宿セントラルは焼失し、同系列の横浜セントラルに転じる。これまた横浜セントラルも壮絶であった。楽屋にはヒロポンの注射器が吊り下げられ、打った後の注射器は天井に上がっているというような状態の中、由利は喜劇にのめり込んで行く。

そして、1956年4月に始まった、日本テレビ『お昼の演芸』に出演するため、急遽結成されたコントグループ「脱線トリオ」で、由利にスポットが当たることになる。
「脱線トリオ」は、由利と、浅草フランス座にいた八波むと志(1926.12.1 - 1964.1.9)、エノケン(榎本健一)の内弟子の後、新宿セントラルで由利と共演し、その時点では八波と同じく浅草フランス座にいた南利明(1924.3.14 - 1995.1.13)である。

同番組は、毎週水曜日午後12時15分から放送され、脱線トリオの「たそがれシリーズ」というコントが絶大な人気となり、初期の頃は由利がコント台本を書いていた。そして、由利が放つ「チンチロリンのカックン」、「オシャマンベ」などのギャグが流行し、一大ブームを巻き起こす。
舞台、テレビに加え、 新東宝制作のトリオ初となる主演映画『カックン超特急』が1959年1月15日に公開され、同年7月にはシングル『カックン・ルンバ』でレコードデビューも果たす。

しかし、再び転機が起こる。1961年に『お昼の演芸』が終わり、翌年の1962年の年末には脱線トリオは解散してしまう。理由としては、由利が八波の芸に嫉妬したことによるものと聞かれる。

確かに、1960年12月に初演となった、東宝ミュージカルス舞台『雲の上団五郎一座』での劇中劇『玄冶店』。ここで、三木のり平(与三郎)と八波むと志(蝙蝠安)の掛け合いは、大きな評価を受けた。そして、トリオ解散後の1963年9月には、日本初のブロードウェイミュージカルとして上演された『マイ・フェア・レディ』で、八波はドゥーリットル大佐役を好演し、喜劇役者より格上とされていたミュージカル・スターに変貌してしまったくらいである。由利の気持ちもどこか分かる気がする。脱線トリオは、当初由利の人気で支えられたものであったのだし、ムーランで基礎を積んだというプライドも強烈だったのだろう。

解散後は、東宝の『社長シリーズ』、『無責任シリーズ』などの映画や、後年は『時間ですよ』や『ムー』などテレビドラマでのコメディーリリーフとして、数多くの作品に出演した。
特に、スケベなおやじを演(や)らせたら天下一品。クレージー映画の監督として知られる古沢健吾は、由利徹が撮影に来る日は朝から心待ちにしてたというし、植木等も好きな喜劇人の一人に由利を挙げている。
「おっぱいがポックンポックンした女」など、非常に下品なフレーズが彼にはよく似合う。普段からも、女かスケベな話しかしなかったらしいし、周りの俳優たちも「エロ話の大家」である由利に話をしてくれとせがんだというくらいだから、これも年季が入った話芸の一つというのだろう。

「座長はいやだね。あとは落ちるだけだからね。コマの花形役者がいいよ」といい続け、1998年11月に、本当に新宿コマ劇場での舞台出演中に倒れ、そのまま緊急入院する。その時は、既に末期の肝臓ガンに侵されており、その半年後には、彼は天国へ旅立つ。

1998年公開の『ワンダフルライフ』という映画に由利は出演している。
この映画は、亡くなって天国に行くまでの7日間で死者は人生の思い出を選び、それを「映画」にして、最後の7日目に上映会を開き、死者はその思い出だけを胸にして天国に旅立つというあらすじである。
由利も死者の一人として出演してるが、思い出として得意の「エロ話」を語っている。これがまた、役の台詞なのか本人自身がただ話しているだけ(実際は後者)なのか、よく分からなくなる。

ただ、この映画は彼の遺作なのだ。
まさに、いみじくも彼らしい幕の引きかたと相成った。

|

« 忘れじの由利徹(中編) | トップページ | 今日はお休み »

コメント

今まさに、ワンダフルライフで由利徹師匠を見掛け!
Google検索したら、この映画が忌みしくも遺作だと読みました。

投稿: 花木君 | 2008.07.02 03:11

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/108782/8566960

この記事へのトラックバック一覧です: 忘れじの由利徹(後編):

« 忘れじの由利徹(中編) | トップページ | 今日はお休み »