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2007.10.28

30年ほど前の弘前の話

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子どもの頃に暮らしていた、青森県弘前市大字桔梗野1丁目付近。
ここは私の母の実家があった場所。地図にある「富田肉店」という肉屋がそこなのです。そこは、今でも中土手にある「肉の富田(正式名は富田牛肉店)」の分店で、昭和57年頃に店は閉めてしまいました。

この地図は弘前カトリック学生センターHPから頂戴しました。こんな地図はなかなか出てこないので、この辺のことについて書いてみます。

カトリックセンターと聞くと、エノ神父とセンターの飼い犬だった「フル」のことを思い出します。エノ神父は私の母が子どもの頃からいらっしゃる方で、私が初めてあった外国の方でしょう。センターは近所ですから、庭は私の遊び場で。行っては走り回っていましたし、神父さんともよくお話をしたものです。

そして、「フル」。前述したHPで、正式な名前が「フルフル」ということを知りましたが、私はいつも「フル」と呼んでおりました。祖父が作っていた焼豚をねだるように家にもよくやってきて、私も彼と遊んでいました。
しかし、ある日を境にぱったり姿を見せなくなりました。逃げてしまったのだろうと勝手に思っていましたが、最初は私の祖父が、私が悲しがるから言わなかったのですが、その後、車に轢かれて死んだことを聞かされたのです(昭和55年8月ということも前述のHPで初めて知りました)。やっぱり泣きましたね。
そのとき以来、「こんなに悲しいなら、犬を飼うことは一生ない」と思い、未だにそうなのです。毛のアレルギーということもありますし、でっかい犬に追いかけられてから、あまり好きではなくなったこともありますが。

昭和38年といえば、私の母がまだ中学生のころの地図ですので、私がいた昭和50年代前半の視点で、この地図を説明します。

ちなみに、弘前藩の殿様が鑑賞のためこのあたりに桔梗畑を作ったことから、桔梗野という名前がついたと聞いております。

津軽石というよりは「にしきいし」という看板で記憶しておりました。並びにはラグノオささき(家の斜向かいの駐車場の隣)やクリーニング屋さん、私の叔父がバイトしていたフラワーセンターや、入園拒否された(変わり者でしたので)大谷幼稚園がありました。

竹内商店(通称 竹内さん)は道を挟んでお隣でしたから、よくジュースやチョコ、パンなどを買いに行ったものです。店の前には、まだ古い形のポストが置いてある頃でした。右隣は、同じく竹内さんが経営していた桔梗野湯という銭湯がありました。なにせ、私がいた家は大正3年建築の家屋でして、内風呂はあったのですが、風呂の壁が「トタンの打ちっぱなし」と環境変化をもろに受けることもあってよく壊れましたから、その銭湯にはよく行っておりました。当時はまだ木の桶でしたし、番台に上げてもらったこともありましたね。

ペプシの看板がかかっていた北山食堂の左隣は工藤洋品店。工藤さんのおばさんの所にもよく上がりこんでいました。その左隣には、村上の天婦羅屋さんと魚屋さんがありました。○○タイヤ商会と書いてある所は、私がいたときは唐牛(かろうじ)自動車商会という自動車部品を売る店で、使い古しのスパークプラグをもらいに行ったものです。その道をずっと行くと「主婦の店(という店名)」があり、おばあさんとそこに買い物へ行く道すがらにざくろの木があったことをなぜか憶えています。

弘南鉄道弘高下駅までは坂になっており、途中には工藤(くど)パンの看板がある伊藤商店もありました。通りがかりによくおばあさんと立ち話をしていたなあ。近くにある川は土淵川。私が生まれた年の昭和50年8月の集中豪雨で氾濫し、そこを豚が流れていったという話を何度も聞かされました。書いてはおりませんが、駅そばの寒沢薬局には薬の箱をもらいに行きました。その近くにあった喫茶店のロンシャンも懐かしい。そして、弘大のほうに向って歩くとグリーンタクシーがあり、当時はその隣にまだ田んぼがあり、その向かいではスーパーの亀屋みなみが開店したばかりでした。

生まれてから6年弱おりましたが、記憶が強烈に残っているのが不思議なものです。富田のシツコに落ちたり(まだまだ、水がたくさんあった頃です)、市役所近くの本屋まで一人で出かけたり、カネチョウ武田や中三で駄々をこねたり、ハイローザでおばあさんとピザを食べているときに地震がきたこと、6月くらいにそこかしこで行われる宵宮、菊富士でご飯を食べると必ず吐いたこと(おいしくて、食べ過ぎるのです)、ボーシのマルヤマのマーク、ボルドーのパンや黄金焼、大阪屋の和菓子、色々なことを思い出すのです。

でも、その家もカトリックセンターも、もうありません。これから何回弘前に行けるかも分かりません。でも、こういう思い出があるところを、きっと「ふるさと」というのでしょうね。

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コメント

初めまして。はっきんとんこと申します。
実は私、約25年前まで(昭和55~59年)カトリック学生センターの一員でした。
一応女性なので、センターの寮には住めませんでしたが…
こちらのブログはセンターの仲間からの情報で知りました。
学生センターのメンバーの他にもエノ神父様やフルフルを慕ってくださって、懐かしんでくださる方がいらっしゃった!!感激です。(T_T)
それに私の第二の故郷でもある弘前、桔梗野界隈をこと細かに描写されて…懐かしいったらありゃしない!
「主婦の店」、もうすっかり忘れておりましたよ。
くどパン!ラグノオ!!カネチョウ武田!!!
紅屋というお店もありませんでしたか?

なんだか不思議なつながりですね。

懐かしくて、嬉しくてコメントさせていただきました。
ときどきおじゃまさせてください。

投稿: はっきんとんこ | 2007.12.26 22:00

はっきんとんこ様、初めまして。
紅屋もありましたね。
カップヌードルの自販機を初めて見たのは、確か紅屋でした。

「センターの仲間からの情報」とのことですが、無断転用なので、
この場で謝らせていただきます。
でも、自分の生家の地図が出てきたら、この辺りの話を書かずにいられなかったものですから。

年寄りくさい話ばかり書きますので、いかがかなと思いますが、よろしければ、またお立ち寄り下さい。

コメント、ありがとうございます。

投稿: 森繁 | 2007.12.27 00:10

 初めてコメントします。弘前カトリック学生センターホームページの管理者です。「無断転用」と書いておられたので、一言。いやー、むしろありがたく感じました。本来はセンターのOBやカトリック教会関係者に向けてのつもりが、彼の地にゆかりのある方が見て下さっていた。つくづくこのホームページを作って良かったと思いました。近々、「記憶の窓から・・・」のページを含め大幅に更新する予定でおりますので、その時にまたご覧いただければと思います。ほんとうにありがとうございました。

投稿: ぺこちゃん | 2007.12.29 18:21

ぺこちゃん様、初めまして。

許可いただきましてありがとうございます。

「ふるさとは遠くにありて思うもの」ですが、やはり桔梗野の話になると、様々な記憶が思い出されて。弘前にいた頃(0歳~6歳になる直前まで)の記憶が異常なほど残っているということは、それだけ毎日が新鮮だったのでしょう。

カトリックセンターの裏側が見える庭でしたから、桔梗野の中でも少し違う場所にいたら、HPに気づくことや懐かしく思うこともなかったでしょう。これも、何かのご縁かも知れません。
よろしければ、またお立ち寄り下さい。

コメント、いただきましてありがとうございます。

投稿: 森繁 | 2007.12.31 11:53

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